美しい明日は晴れ
心と意識が織りなす人間模様。いずれを選ぶにしてみても人生かな。 ※掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。
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『罪と罰』
今日の言葉

人間の奥底には

生きる意味を「死に物狂い」で知りたがる願望が

激しく鳴り響いている

アルベール・カミュ

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私たち人間は、知らず知らずのうちに「罪」を犯し、「罰」を受けています。

ここでいう「罪」とは人間に対しての「罪」ではありません。

人間対人間の場合には、法律や道徳というルールが適用され、そのルールに合わせて「罰」が与えられます。

同じようにこの世にも「ルール」があるのです。

この空間(宇宙・地球)に対して、そして己の魂に対して、またこの世を創造した存在(かみさま)に対して、私たちがどう接し、どう考え、何を言ったのかという一つ一つがこの世のルールに照らし合わせられているのです。

人間対人間であれば、バレなければ大丈夫、口に出さなければ大丈夫、知らなかったのだから大丈夫(過失と言われるもの)、と見逃されるものがあります。

ところが、この世のルールとなると違います。

バレないことはありませんし、思っただけでもダメですし、知らなかったといういい訳も通用しません。

非常にシビアで、しかも一秒たりとも見られていない時間はありません。

それだけの厳しさがあるにも関わらず、私たちはそういうルールがあることさえも知りませんし、また知ろうともしていません。

「罰」にだけは敏感に反応していますが、それさも「罰」である自覚がありませんから、「運が悪い」とか「偶然悪い事が降りかかった」という程度の認識しかありません。

中には「これは試練であり、乗り越えられるから与えられた」と思われる人もいますが、その「試練」とは誰が与えると考えているのでしょうか。

もしそれが「神」という存在が与えると考えているならば、大きな間違いです。

私たち人間は、神に試練を与えられるほどの存在ではないのですから。

試練の多くは「罰」である可能性が高いのです。

でも人はそれを認めたくないのです。

たとえ真実であっても、自分が「罰」を与えられるということ自体が、信じられないのです。

「何も悪い事などしていないのに不幸が降ってきた」という言葉の中にある「悪い事」とは何であるのかも知らないのです。

人間の常識や知識で考える「悪い事」とこの世のルール上での「悪い事」が必ずしも一致するとは限らないのです。

何が「罪」なのかを知る事でしか、「罰」は防げないのですから、学んでいくしかありません。

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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

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