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美しい明日は晴れ
心と意識が織りなす人間模様。いずれを選ぶにしてみても人生かな。 ※掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。
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『認識』
今日の言葉

「自分の能力はここまでだ」と

自分が自分に対して勝手に限界値を設定してしまった時点で

その道は閉ざされてしまう

高畑好秀


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本当は何もないのに「ある」と人間が認めると、「ない」にも関わらず「ある」となる事があります。

たとえば、肝試し等で、誰か一人が何も見えないところを指差して「何かいる!」と言うと全員ではなくても、何人かにはその「何か」が見えたりする、そういう事の中には、実際には本当に何もないのに人間が「ある」と認識した故に、脳がそれを作り上げている事があるのです。

人間の視覚や聴覚等は、目が見ている、耳が聞いているのではなく、脳が判断しているのはご存知ですよね。

その脳に誤作動が起こることもあるのです。

たとえ何もないとしても、「見えた」というのは事実です。

だからといって、そこに幽霊がいるのかといえば、いない事もあれば、いる事もあるでしょう。

ただ、何もないとしても、多くの人が「あそこには何かある」という思いを抱けば、その思いが「幽霊のような存在」となる可能性はあるのです。

魂という存在もそれに似ています。

「ある」と認識した時から、それは「ある」として関わりあっていきます。

逆に「ない」と思うのなら、それは「ない」のです。

ただし、関わり合いは完全に切れるわけではないのが注意点です。

脳の誤作動で見せる幽霊と違って、魂という存在は人間が作り出せるものではありません。

小さな点として私たちの中に、この世に生まれた瞬間からあるのですが、小さな点ですから私たちがすぐに認識できるものではありません。

故に、「ある」と認識し、その点を大きくしていく事で、認識しやすくはなるでしょう。

気付かないとしても、点は点としてあるのですが、魂の都合(前世で磨かれた魂や輪廻の最終段階で後のない魂など)によっては、何としても気付いてもらわなければならないという思いが強い場合があります。

その場合、「ない」と認識していても、「あるよ」という魂の願いが様々な形で現実に現れてくるのです。

「魂の事なんて何も判らない」と思うのは誰も同じです。

判る人なんてそういるのではありません。

ただし、認める事ができるかどうかとなれば、話は別です。

本人次第で、認めることができるかどうかは変わっていくからです。

好きな人の事を知りたい、そういう気持ちを魂に対して抱く事ができるかどうかです。

要するに、人間が魂に向かっていけるかどうかという事です。

「ない」とするも良し、「ある」として向かって行くもよし、その選択の自由のみあるのです。

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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

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