美しい明日は晴れ
心と意識が織りなす人間模様。いずれを選ぶにしてみても人生かな。 ※掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。
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『自然の流れに身を任せ』
今日の言葉

不幸せの原因は

他の誰かの身勝手ではなく

自分自身の身勝手である

ジェームズ・アレン

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毎年この時期になると書きますが、周りを見回すと春の姿を目にするようになりました。

寒さの厳しい日もありますが、梅の花は美しく咲き、風も春を感じるものに変わりました。

そういう自然の変化の中に私たちは生きています。

ただし、変化の中にあって、変化と共にいない場合があります。

日々の生活に追われていたり、惰性で毎日を過ごしていると、変化に気づかなくなっているのです。

そうして、自然の流れから取り残されていくのです。

春は、新たな命の始まりの季節でもあります。

それ故に、四季の中でも一番変化を感じやすい季節なのです。

興味があるとか、ないではなく、この地球上で生きていくならば、私たちはこの地球の流れに身を任せるのが自然なのです。

それを忘れるという事は、自然ではなく、不自然なのです。

不自然は、どこかに歪みを生じます。

その歪みは、それぞれの弱いところに出てきます。

四季の変化、その際に体調を壊すのは、一概に気圧や気温等の変化だけではないのかもしれません。

特に、日本のように四季のある国に生まれたからには、大いに自然の流れを感じていこうではないですか。

またそういう意識が、心への栄養なのです。

あなたの心は栄養不足に陥ってはいませんか。

真実への扉は・・・本家にある
☆本家にて「相性占い」「宿命占い」のコーナーを新設☆

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『発見を楽しむ』
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今日の言葉

棚からボタモチが落ちてくるのを待っているのは、まだるっこしい

第一、いつまでたっても落ちてこないかもしれない

ちょっと背伸びをして、棚の上を眺めてみよう

そこにボタモチがあるなら

踏み台か何か持ってきて、ひと足早くいただこうではないか

竹村健一

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部屋が汚いと運が悪くなる、これは確かにその通りです。

運の悪さは、天からランダムに降ってくるものではなく、自分が作っているのです。

それに気づいた人が、こうすると運が悪くなると書籍や講演会、テレビ等で伝えてくれています。

もちろん、全てが真実ではないとしても、「なるほど」と思う事は沢山あります。

それの一つが部屋が汚いであったり、愚痴ばかりの言っている等です。

まず、部屋が汚いのと運に何の繋がりがあるのでしょうか。

それは、私たち人間に魂が宿っているからです。

魂は心の中だけではなく、その人間の生活している場所も清らかであって欲しいのです。

高価な家や高価な洋服は必要ありません。

しかし、清潔感は大切なのです。

どんなに高価な家や洋服があっても、汚れていては魂は好みません。

古い家でも時代遅れの洋服でも、そこに清潔感があれば良いのです。

何日もお風呂に入らなくても平気、なんて人も気をつけなければなりませんよ。

次に愚痴ですが、生きていれば不都合な事は当然生じます。

多くの人の中で私たちは生きているのですから、その中で人間関係で悩む事だってあります。

気に入らない事、許せない事だってあるかもしれません。

それは当然の事で、誰か一人だけがそういう思いをしている訳ではありません。

多くの人が似たような不満を持っていても、それを消化したり、縛られないようにしながら生きているのです。

一度しかない人生、せめて笑顔で過ごして欲しいと魂は感じています。

しかめっ面で愚痴を言っている人に運の良さがないのは、当然なのです。

他にも色々とあるでしょうが、いつも書くように「周りに答えがある」のですよ。

運の悪い人はどんな性格でそんな生活をしているのか、話を聞いたり、見せてもらいながら、それぞれに発見していく事ができるのです。


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『迷うのは当たり前、覚悟が必要』
今日の言葉

人間というものは

ほとんど常に感情の色めがねをとおして世界を見るもので

そのレンズの色しだいで、外界は暗黒にも

あるいは深紅色にも見えるのです

アンデルセン

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自分は何かをしなければならない、生まれたからにはやるべき事がある、と感じる人、考える人は少なくありません。

その「何か」を職業的に考えてしまう方も多いのです。

確かに、その「何か」を表現していく中で、特定の職業に当てはまる場合もあります。

歌で心を表現していくから歌手、絵で表現していくから画家。

そういう場合もありますが、全ての人が職業として表現していく道がある訳ではありません。

大切なのは、自分が何を表現したいのか。

それさえ掴めれば、どんな職業であろうと、その中で表現できる事もあれば、私生活で表現する事だってできるのです。

その点を認識していないと、ついつい「今の職場では何も表現できない、向いていない」と悩んでしまいます。

人間が成さねばならない事は決して職業で分けられるものではなく、職場であろうと私生活であると、生きている中で自分なりに試行錯誤しながら表現すべきなのです。

「何か」が何であるかに気づいているのならば、それを日々育んでいく事です。

何であるのか気づいていないのならば、自分が何に感動し、何に心を打たれ、何に喜びを感じるのかを探すしかありません。

時には人に聞いてみるのもいいでしょう。(ただし、聞くからには素直さと謙虚さを忘れない事)

自分では気づかない自分の魅力や良さを知る事ができるかもしれません。

後は、その中で「これだ!」と決めて進んでいくだけです。

「違っていたらどうしよう」なんて考える必要はありません。

自分が決めたのならば、それで良いのですよ。

それでも「よし!」と思えないような事ならば、続かないですから、探し直せばいいのです。

ただし、人生は思うほど長くはありません。(ダラダラ過ごせば長くても、何かに打ち込めば短い)

焦る必要はありませんが、あまり悠長に構えていると、何も出来ないまま人生は終わってしまいますよ。

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『慣れ』
今日の言葉

結果はあとからついてくる

その時のために今は自分ができることを

出し惜しみせずに全力で行うのである

鎌田浩毅


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人間はいつも現実優先です。

暇な時に神仏に手を合わせようか、という感覚しかないのです。

魂は人間が現実優先である事は十分に解っています。

魂が解ってくれているのなら、現実優先でもいいのか、と甘えてはいけません。

解ってくれているからこそ、現実優先の自分を詫びる気持ちを持たなければならないのです。

魂に対して「慣れ」というものを生じさせてはならないのです。

人間は都合の良い生き物で、困った時の神頼みとはよくいったもので、現実がうまくいっていない時には一生懸命に話を聞きに来ます。

「こうした方がいい」というアドバイスを受け入れたとしても、長続きはしないのです。

現実が軌道に乗ると、途端に魂の話を聞きに来る時間を自分の好きな事をする自分に回し、一生懸命に実行していたアドバイスもいつの間にかやらなくなるのです。

魂にとって、人間の現実は関係がありません。

しかし、時には力を貸してくれている事もあるのですが、それを利用するだけ利用して、苦しい時期を過ぎれば見向きもしないのはいかがなものでしょうか。

魂は、人間を守るためだけに存在しているのではありません。

人間にその肉体を使ってやってほしい事、表現してほしい事があるのです。

その人間が、現実優先で、更にそれを詫びる気持ちもなければ、どこかで手を引く事もあるのです。

その怖さを人間はすぐに忘れるのです。

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『喪失感』
今日の言葉

「天は二物を与えず」と言うが

逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」

ということが言えると思う

その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである

松下幸之助

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人は自分が「守られている」という自覚がないと幸せという感覚がないのです。

それ故に、母親や父親、祖父母または他人であっても誰かに守られている子どもとそうではない子どもで違いがあるのは当然なのです。

しかし、守ってくれる存在の基本は「魂」なのです。

その存在を確実に理解できなくても、何かが自分を守ってくれる(守護霊でも何でもいい)という自覚があれば、幸せという感覚が芽生えていきます。

ところが、そういう存在を認められる人ばかりではありません。

そうなると、求めるのは「人間」になるのです。

「愛されたい」と多くの人と恋愛をする、その中には、「守られているから感じられる幸せ」を求めている人も多いのかもしれません。

急に人恋しくなったり(恋愛感情だけではなく)、一人でいることが耐えられないと感じたりする事はないでしょうか。

心にポッカリと穴が開いているような、何かが足りないという不安、孤独を感じた事がある方も多いのではないでしょうか。

その喪失感が、魂と繋がっていない一つの症状でもあるのです。

ですから、魂という存在を知り、それを受け入れていく事で、徐々に解消していくのです。

逆にいえば、人の感じる喪失感が魂に関係しているのならば、それを人に求めても、完全に払拭する事はできないのです。

人は、表立ってそういう不安を口にはしません。

自分だけがそういう不安を抱いているかもしれない、という思いがあれば、人に相談する事はないのです。

全ての人がそういう不安を抱いているわけではないでしょうが、少なからず、悩み、苦しんでいる人もいると感じています。

その方々に、少しでも「幸せ」という感覚を得てもらえればという気持ちの強まる毎日です。

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『真実は裏にある』
今日の言葉

絶対に笑うのをやめないで

デイヴ・バリー

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現実は影絵を表から見ている状態です。

女の子の姿をしている影絵を表からしか見なければ、それが一体何であるのかを知る事はできません。

人の手で作っているのか、紙でできているのか、それとも金属製なのか、はたまた色々な素材で作り上げているのか。

表から見るだけでも十分に楽しめるかもしれません。

しかし、もし少しの好奇心があれば、裏を覗いてみると、思わぬ収穫があるかもしれません。

思いも寄らぬ正体を知り、表から見る影絵も今までとは違うように見えてくるかもしれません。

現実が表、その裏には見えない世界が広がっています。

いつも書いている魂であったり、魂の過去(前世)であったり、霊や神仏も裏の世界です。

現実で起こっている事の裏側には、常に何かがあるのです。

裏側にある何かが、表に影絵として映し出されているのです。

そして、その裏側こそが、真実なのです。

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『感情』
今日の言葉

我々の心の中の悪魔には

「仕方がない」という名がついている

ジョルジュ・ベルナノス

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イライラしている時は、些細な事やいつも同じ事でも、更にイライラを感じたり、つい怒ってしまいます。

では、逆にウキウキしている時はどうでしょうか。

同じ事に対しても、全く違う反応をしてしまいませんか。

イライラしたり、怒ってばかりの毎日が楽しいのならば別ですが、できれば楽しく、笑顔で過ごしたいと思いませんか。

それは環境によって得られるものとは限らないのです。

イライラした自分というものを上手にコントロールして、ウキウキまではいかなくても、穏やかな気持ちにもっていけるのならば、しかめっ面とはサヨナラできるのです。

それほど、人間は感情・気分というものに左右されているのです。

前にも書いた事がありますが、デートや楽しい事がある日には、たとえ雨が降っていても寒くても、ちょっとワクワクしますよね。

楽しい事のない日には、雨だと憂鬱、寒いのは嫌だという気持ちが強くなったりしますよね。

楽しいとか嬉しいという感情ではなく、嫌だとか嫌い、妬ましい、怒り等、心がモヤモヤするような感情を魂は好ましいとは感じていません。

それ故に、そういう感情を抱いてばかりいると、どうしても不都合がつきまとうのです。

人の愚痴を聞いて疲れた経験がある方も多いと思いますが、それと同じような事が心の中でも起こっているのです。

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『罪と罰』
今日の言葉

成長している限り、チャンスは必ず訪れる

久恒啓一

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昔から「罰が当たる」という言葉は時折使われます。

罰は罪を犯したからあり、更にいえば、罰を与えてでもその人に罪に気づき、修正して欲しいという期待があるのです。

ですから、誰にでも罰が当たるのではないのです。

同じような事をして、一人は罰が当たり、もう一人は何もない、という場合、何もない方がラッキーだとは一概には言えません。

罰を与えるほど期待もされない場合もあるのです。

また罰が当たったとしても、それは継続する事はありません。

つまりは、亡くなったり、動けなくなったりというものではなく、一時的な痛みや苦しみが多いのです。

罰は罪に気づいて欲しいからあるのですから、後々まで尾を引くような事はないのです。

さて、先ほどから「罪」と書いてきましたが、一体何が「罪」となるのか、考えた事があるでしょうか。

ここでいう「罪」とは、犯罪ではありません。

また道徳的な事でもありません。

基本はいつも「魂」なのです。

何が罪となるのか、それはその人に宿る魂によって違う場合もあるのです。

その点が判り難い部分もあるかもしれませんね。

しかし、基本的には大きな違いはないでしょうから、まずは周りの人をよく見てみることです。

全ての答えは、いつも見せてもらっているのですから、私たちはその中から発見していくしかないのです。

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『心の中』
今日の言葉

豊かさは自分の心で感じるもの

不便さは何とでもなる

最後は自分の五体で何とかなる

小野田寛郎

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水の流れ、風の流れ等、私たちが普段はあまり気にしていない自然界の流れ。

それを人間が勝手に変えてしまう、または遮ってしまうと、思わぬしっぺ返しにあう場合があります。

自分たちに不便があるからといって、流れを変える(または遮る)のは、人間の驕りなのです。

直接自分が手を加えなくても、自然の流れを変えた場所に住む場合には、持ち家であろうが借家であろうが、影響を受ける可能性があります。

そういう場所に住まなければ良いのですが、それぞれに事情があるでしょうし、何も影響のない場所も少ないものです。

では、どうすればいいのか。

まずは、なぜ影響を受けるのかを考えてみることです。

今まで何度も書いてきましたが、人間の中には魂があります。

その存在を多くの方は知りません。

知らない故に、知らせようとします。

その時に、自然の流れを変えた場所に住むという状況を使うのです。

使うというと言葉が悪いかもしれませんが、そういう場所に住み、何か良くない事が続いた時、その土地に何かあるのではないか、と考えさせようとするのです。

つまり、目には見えないけれど、何かが存在しているのではないか、というところから、魂の存在に気づかせようとしているのです。

そういう意図があると知っているのならば、話は早いでしょうが、知らないのですから、反応は様々です。

何かあるかもしれないけど、見えないから判らない、と済ませる人もいるでしょう。

偶然が続いただけだ、と何も気づかない人もいるでしょう。

土地のお祓いをしてもらおう、と見えない存在に目を向ける人もいるでしょう。

しかし、魂にまでたどり着く人はほとんどいないのです。

なぜなら、魂について詳しく知っている人、伝えられる人が少ないからです。

それでも、何か目に見えない存在があるのだと受け入れられるならば、避けられる不幸はあるのです。

魂は様々な状況をひとつのきっかけとして動き出します。

そのひとつが住んでいる場所であるのです。

現在住んでいる場所に対して、自分の家だから住んでいて当たり前、好きにして当たり前、というのではなく、住まわせてください、という気持ちがあるでしょうか。

そういう心の中を魂は見ているのです。

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『変わらない歴史』
今日の言葉

あなたの現在の人生は、過去の選択の結果だ

同じことは、あなたの未来にもあてはまる

マイケル・ルボーフ


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自分の感情をコントロールできない事、それが自分にとって良くないと判っていても、どうしてもコントロールできずに、怒ってしまう方がいます。

「良くない」と判っているのに、どうしても怒りを抑えられないと言うのです。

それは「良くない」と判っているのではなく、「良くない」と知っているだけの事です。

知っているだけで、判ってはいない(自分の中に染み込んでいない)のですから、怒りという感情が優先されて当然です。

育った環境や家系的なもの、または前世(以前魂が宿っていた人々の過去)の影響で、感情を優先してしまう傾向があるのは確かです。(総称して因縁という)

しかし、それは言い訳に過ぎないのです。

本当に良くない事だと思うのならば、耐える事を身につけるしかありません。

因縁に引きずられて、同じ過ちを繰り返していくのが人間です。

それを断ち切る事ができるのも人間です。

その一部は私に断ち切る事ができるとしても、全てを断ち切ることはできないのです。

そこには本人の努力が必要になるのです。

しかし、人は楽をして良くなりたいと考えます。(全ての人がそうではありませんが)

何が不思議な呪文を唱えてもらったら、全てが良い方向に進み始めるという幻想を抱いているのです。

アドバイスを求められて、「こうした方が良いですよ」と言っても、努力はしたくないのですから、聞いただけで終わりなのです。

本当に「良くない」と思うのならば、何でもしようという決意をするしかないのです。

ですから、抑えようと思っても怒りを抑えられないのは、決意がないからなのです。

今までの自分(前世を含めて)のまま、次(来世があるとして)にバトンタッチするのです。

歴史は繰り返す、それはこの世の流れを言うだけではなく、個人にも同じ事が言えるのです。

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『守られる価値』
今日の言葉

優れた師匠には完全に受け身になることが肝要だ

受け身になって素直に学ぶというのは

学びの最大のコツである

鎌田浩毅

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魂や守護霊等、人間が「人間を守ってくれる存在」だと認識している「何か」があるとして、果たして本当に守ってくれるのでしょうか。

守ってくれるだろう、守ってくれると嬉しい、という感覚は多くの人が持っています。

実際に、守られたとしかいい様のない事も存在します。

守ってくれないわけではないのですが、それは一方的な関係ではないのです。

人間から見れば、魂は人間を守るもの。

では、魂から見ればどうでしょうか。

魂だって、人間に守ってもらわなければならないのです。

この点を人間は気づかずに、ただ無条件で魂は人間を守ってくれると思っているのです。

魂が「守る価値がある」と思ってくれている間は良いでしょうが、ずっとそう思ってくれるとは限りません。

無条件で守ってもらえるという概念があれば、魂が人間を見捨てるとは考えもしないでしょう。

しかし、それは人間が勝手にそう考えているだけで、魂は非常に厳しい面があるのです。

「守る価値」があるかどうかなどというと、納得できない方も多いでしょう。

もし自分が魂に見捨てられていると言われたら、腹立たしいでしょう。

しかし、見捨てなければならなかった魂も悲しいのではないでしょうか。

以前にも書きましたが、魂はその想いを人間に代わりに形にしてもらわなければ、何も出来ないのです。

人間を頼りにしているのです。

頼りにしているからこそ、その人間に危険が迫れば助けようともしてくれるのです。

人間は、守られる価値のある自分というものを意識しなければならないのです。

まずは、魂という存在を知り、己の中に「ある」という認識をどれだけ浸透できるのかです。

後は、先日書いた通りです。

あるのか、ないのか、判らないものを「ある」と認めることは、慣れていない人や学識高い人にとっては難しいことだと思います。

またここを読んでいるだけで理解できることでもないと思います。

もし、真剣に「魂」について聞いてみたい方がいらっしゃれば、是非ご連絡ください。

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『宿命』
今日の言葉

「問い」をもって生きる人間だけが

「答え」にめぐり合うことができる

表三郎

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ここを読まれている方の中にも、自分は「何か」を背負わされていると感じている方がいらっしゃるのではないでしょうか。

人間の中にある魂には「宿命」があります。

その宿命を成し遂げるために人間が存在しています。

それ故に、人間は意味が判らなくても「何かを成さねばならない」と感じるのです。

ただし、全ての人がそう感じている訳ではありません。

感じない人、感じても忘れてしまう人もいます。

感じない人に対して「なぜ感じないのか」、また忘れてしまった人に「なぜ忘れるのか」責める必要もありません。

時期がくれば感じるかもしれませんし、思い出すかもしれません。

ただ、今この瞬間も「何かを成さねばならない」と感じているのならば、今すぐ行動するだけです。

何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、それはそれぞれに考えなければなりません。

他人の事ではなく、自分の事なのですから、自分で考え、それに従い、歩んでいくしかないのです。

ヒントと挙げるとするならば、自分が涙が出るほど感動する事、寝食を忘れて没頭する事(娯楽とは違います)、生きていて良かったと思う事などを続けていく事です。

一年、二年ではなく、十年、二十年と続ける事です。

万が一、それが「何かを成さねばならない」の「何か」ではなかったとしても、何もしないのとは違います。

方向転換はできますが、何もしなかった時間は取り戻せないのです。

人は「何かを成さねばならない」と思っているとしても、他人にはあまり言いません。

ですから、自分だけがそういう思いを抱き、悩んでいるのではないか、自分がおかしいのではないか、と不安を感じるのです。

意外と「何かを成さねばならない」と感じている人が多いのですよ。

そう感じられる自分を大切にして欲しいのです。

すでに「何か」を見つけた方はそれに向かって努力をし、まだ見つかっていない方は視野を広げて見つける努力をしてください。

その「何か」はあなたでなければ形にはできない宝物なのですから。

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『勇気』
今日の言葉

あなたが何を信じようと、慎みを忘れてはいけない

バートランド・ラッセル

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自分の過ち、それに気づくだけではなく、その過ちを認めるとなると難しいものです。

それを認めることが、自分を否定する事のように感じているのですが、決してそうではありません。

人には、自分の中で作り上げた自分像というものがあります。

「ひねくれ者!?そう、それが自分なんだからいいじゃないか!」などと自分自身を納得させようとしているのですが、自分が成長する中で勝手に作り上げた自分像が果たしていかほどのものでしょうか。

それが本当の自分の姿であると、胸を張って叫ぶ事ができるでしょうか。

「私は○○だから」という言葉の中に、「私はどうせ○○だから」と卑下する気持ちはありませんか。

または今更本当の自分を曝け出すのが恥ずかしかったり、照れくさかったり、怖かったりしてはいませんか。

成長の過程で身につけたものが全て不要だとは思いませんが、本当の自分に自分で鎧を着せてはいないでしょうか。

もし本当の自分を封印しているとするならば、本当の自分はどういう思いでいるでしょうか。

そのもどかしさを人はどこかで感じ取っているはずです。

そのもどかしさが何であるのかを知らないだけなのです。

鎧を脱ぐ事は恐怖かもしれませんが、鎧の重さで潰れてしまう前に、手遅れになる前に、本当の自分と向き合う勇気を持って欲しいものです。

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『受け入れられる自分』
今日の言葉

試みのないところに、成功のあったためしは、決してない

ホレーショ・ネルソン

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私たちは宗教の神仏に関しては多少の知識はあっても、真の神さま(この世を創造した存在)がどのような存在なのかは知りません。

「神さま」と仮に呼んではいますが、私たちの頭の中にあるイメージの「神」ではありません。

つまり、願い事を叶えてくれたり、困った時に助けてくれる、そういう存在ではないのです。

その点をしっかりと認識していなければ、気づかぬうちに神さまを冒涜している場合があるのです。

冒涜しているつもりはないのですが、人間と違って神さまには「過失」というものはありません。

知らなかったから許されるとか、そういうつもりはなかったから許される、というものがないのです。

私たちにできる事は、神さまに対して縋ったり、頼んだり、願ったりするのではなく、ただ「許し」を乞うことだけなのです。

この「乞う」という感覚は言葉では説明できません。

それぞれに感覚として身につけるしかないのです。

存在自体を認識できないのに、神さまに対して許しを乞うのは難しいかもしれませんね。

認識できない事自体が冒涜であったとしても、認めたくないものは認めたくない人も多いのです。

空気は見えなくても「ある」と思えても、神さまとなると、宗教的に考えたり、非科学的、非現実的と捉えてしまい、騙されているのではないか、と勘ぐってしまうのかもしれません。

そもそも、そういう目に見えない存在に対しての認識が薄くなってきた時代ですから、大人になって急に「神さまが」とか「魂が」と言われてもすんなり受け入れられないのは仕方がないのかもしれません。

ただ、たとえ仕方がないとしても、受け入れられる人は一瞬で受け入れられるのです。

求めるものがあるのならば、受け入れるだけの自分を自分で作るしかないのです。


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『可能性を活かして』
今日の言葉

そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません

我々は人生に問われている立場であり

我々が人生の答えを出さなければならないのです

ヴィクトール・フランクル

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人生は長いようで短いものです。

命は「待って!」とどんなに叫ぼうと待ってはくれません。

時間と同じように、取り戻す事はできないのです。

長くも短い一生を与えられ、私たちはここに存在しています。

この世に生まれ出た時点から、私たちには可能性が与えられました。

何をしようと自由(社会・家庭等の中ではなく)なのです。

こうしたいと思えば、それができる環境があるのです。

環境とは、この空間のことです。

個人的には、制約があると感じるかもしれませんが、この空間は人間が思いを形にするのを止めたりはしません。

大きな視点で考えると、人間に制約はなく、思いは自由に形に成せる環境があるのです。

個人的な制約は創意工夫で都合をつけていくしかありません。

その創意工夫をせず、自由ではないと考えるのは、努力不足・認識不足なのです。

自由ではないと考えている時間も、一歩踏み出せずに躊躇している時間も、命は一秒一秒過ぎ去っているのです。

ふと振り返ると、過ぎ去った時間がいかに大切だったのかを気づくからこそ、一秒でも早く与えられた可能性を活かして欲しいのです。

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『現実と非現実』
今日の言葉

性格が悪い? 友達が少ない?

まわりとうまくやっていけない?

そんな悩み、すぐに消えるわ

"自分はこうあるべき"って決めつけるのをやめれば

Ms.Royce

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何事にも必ず「原因」となるものがあります。

そしてその「原因」は必ずしも現実的な事とは限りません。

今まで様々な相談を受けてきましたが、現実的な原因もあれば、非現実的な原因もありました。

たとえば、会社に行こうと思っても、一歩外に出たらお腹が痛くなる人がいたとします。

現実的な原因としては、本人の甘えなどがあります。

会社に行くと嫌な事があり、嫌な事を避けたいと思う気持ちが、腹痛となって表れてくるのです。

そういう場合は、病院でカウンセリングを受けたり、別の会社に転職したり(この場合はまた嫌な事が発生して同じ事を繰り返す可能性が高い)、精神的な強さを身につけていくなど、現実的な対処が必要になっていきます。

これとは違い、非現実的な原因があったとしたら、恐らく、現実的な対処では補えないものが出てきます。

たとえば、何か霊にとり憑かれているとか、住んでいる家や土地がよくないなどの原因があった場合、治療や薬の効果は薄いケースがあるのです。

中には現実的な原因と非現実的な原因が絡まっているケースや非現実的な原因が一つだけではないケースもあります。

現実と非現実、どちらか一方だけを見ていては、解決できないのです。

ところが、今は非現実な見方は受け入れられない事が多いのです。

それは非現実を商売として悪用するケースが多く、また果たして本当に「ある」のかが判らないからです。

判らないことに対して、私たちはどう対処していいのか判らず、見ないようにしているのです。

ただ、非現実に触れた時、何かしらの反応が出る場合があります。

たとえば、魂の話を聞いて、なぜか涙が出る(自分でもなぜか理解できない)人がいます。

その涙が魂という実体のない存在の意志表示なのですが、実際に自分が体験しても見ようとしない場合が多いのです。

自分の体験さえも、「判らない」と逃げようとするならば、非現実は味方にはならないのです。

私たちは現実と非現実の両方が存在する世界に生きているのです。


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『運』
今日の言葉

人間はあさはかなもので、身にふりかかってこなければ

なかなかその悲しみはわからない

いわさきちひろ

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「運が良いとか悪いがあるのはなぜですか?」とよく聞かれます。

運を良くする方法などは様々な書籍等で語られていますね。

実は、人間は「うまくいくようにプログラムされている」のです。

ですから、そのプログラム通りならば、運は良いはずです。

それがうまくいかないとするならば、原因は自分にあるのです。

「この道をまっすぐ行けばいい」と言われているのに、違う道を自分が選び、進んでいるのです。

道を外れるのは、自分の判断基準がうまくいかない方を選ぶようになっているという事なのです。

そして、誰かが「その道は違うよ」と言ってくれているのに聞き入れていないのです。

いつも書いている「素直さ・謙虚さ・感謝」が欠如しているのです。

判断基準が間違っているとは言いません。

好きで選んでいるのですから、それで良いのですが、結果が受け入れがたいとするのならば、判断基準を見直す道もあるのではないでしょうか。

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『受け継がれるもの』
今日の言葉

つねに成長している人間は

いつもなにかしらの困難に直面している

これは、不運だからではなく

その人がいつでも新しい事に挑戦しているからだ

大越俊夫


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お父さんにソックリですね、お祖母さんにソックリですね、という話にあるように、先祖から受け継がれるものがあります。

それは容姿や性格等、一般的に捉えているものだけではありません。

私たちの遺伝子の中には、様々な情報が組み込まれており、まだ解明されていない部分には思いもよらない情報も入っているのです。

人が生きて、そして亡くなる、過ぎ去った時間に生きた人は消えてなくなるわけではありません。

どこかに「生きた証」が残るのですが、その一部が子孫であり、その遺伝子の中に生き続けているのです。
(自分に子供がいないとしても、生きた証はどこかに受け継がれていきます。)

それに何の意味があるのかといえば、人の人生はその人だけで終わりではなく、その人生の中で抱いた思い、行動、言葉、全てに責任があり、その責任を取れなかったツケというものは、誰かが払わなければならないのです。

親や祖父母の代の責任を問われる、という事は現実でも良くある事ですし、同じ時代に生きた場合が多いでしょうから、納得はできなくても仕方がないという思いはあるでしょう。

しかし、500年前、1000年前のツケを払えと言われたらどうでしょうか。

納得どころか、仕方がないとも思えないのではないでしょうか。

ところが、実際には、1000年前だろうと2000年前だろうと、そのツケを払わなければならないのです。

どういうものがツケとなるのか、それは様々ありますが、人を殺した、人を苦しめた、そういうものだけではないのです。

人が生まれるには意味があり、役割があるのですが、それを果たせなかったというツケもあるのです。

また、抱いた思いを実現できなかったというツケもあるでしょう。

人が想像するよりも軽い(法律や道徳に反しないという意味で)事柄が、ツケとして脈々と受け継がれているのです。

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『感動』
今日の言葉

自分の他に敵は存在しません

無知よりも暗い闇はないのです

ジェームズ・アレン


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感動というものは、形のないものを人間が形に成した事により感じられるものです。

映画、劇、テレビ、本、歌、また人が何かをする姿、それぞれに行う者の思いが様々な形で表現され、人はその形から思いを受け取り、感動するのです。

形にする手段はそれぞれありますが、思いを形にするという点では皆同じです。

それ故に、人に感動を与える事は、実は特別な事ではなく、誰にでもできる事なのです。

ただ、その思いというものを自分が捉えられない、または捉えられたとしても表現できない(しようとしないのも含めて)というだけで、決して「できない」のではないのです。

自分の必要性、自分がこの世に生まれ、何の意味があったのか、それは死の間際に考えても遅いのです。

元気に動ける間に、その意味を自分なりに考え、「これかもしれない」というものに対して作り上げる努力をするしかないのです。

もちろん、それが必ずしも正解とは限りませんが、とにかく前へ進むしかありません。

正解ではなかったとしても、自分ができる限りの力で向かう事ができれば、納得もできます。

今すぐに答えを出そうとするから、何事も続かないのです。

自分の中に思い、それを捉えられないというのなら、まずは様々なものに尻込みせずに目を向けることです。

様々なものに触れ合っていく事で、感性も磨かれていきますし、また「これだ!」というものにも出会えるかもしれません。

「感動するなぁ」とか「これいいなぁ」というものに出会っていく中で、その共通点のようなものを見つけるのもいいでしょうね。

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『勇気をもって』
今日の言葉

本気が、不可能を可能にする

西田文郎

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今、自分が考えている事や思いが正しい事なのか、それとも間違っているのか。

他人に危害を与える等を除いて、自分の考えや思いが正しいか正しくないかは、実際に行動に移してみなければ判りません。

必ずしも予想通りの結果にならないからこそ、やってみなければ判らないのです。

大切な事は、考えたり思ったりするものがある事であり、いわば種を手に入れたのならば植えて世話をして咲かせなければならないのです。

この空間は、私たちの考えや思いを実行する事を拒否してはいません。

何をしようと自由にさせてくれているのです。

太陽があなたにだけ陽を照らさない事があるでしょうか。

雨があなたにだけ降り注がない事があるでしょうか。

自分が陽の当たらないところや雨に打たれないところに行く事はあっても、誰か特定の人にだけ与えない事は絶対にないのです。

空間はあなたを受け入れ、あなたはその中で自由に生きているのです。

受け入れられていないと考えるのならば、それは間違いなのです。

本当に受け入れられていないのならば、初めからこの空間には存在しないのですから。

人間社会に生きている故に、人間同士の関わり合いの中で、躊躇してしまう事もあるでしょうが、あなたが本当にしたい事があるのならば、迷わず行動に移して良いのです。

今日の言葉にもありますが、あなたが「本気」で行動できるのならば、あなたの持つ種は必ず素敵な花や木を咲かせてくれるのです。

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『言い知れぬ不安の発生源はどこか』
今日の言葉

せっかくこの世に生まれてきたのだから

感動なしに生きていてはもったいない

朝吹登水子

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不安。

それが現実的なもの(お金がないとか恋人がでない等)ならば、できるできないは別にして、対処法が思い浮かぶかもしれません。

しかし、その不安の元が判らない場合はどうでしょうか。

本人もなぜ不安なのかが判らないのですから、どう対処すればいいのか、途方に暮れてしまいます。

この薬が効く、この治療法がいいらしい、そういうものがあればいいのですが、発生源が判らない不安には、時に医学的なものでは効果が望めない場合があるのです。

それはなぜなのか。

精神的にも肉体的にも原因がないからです。

つまりは病気ではないのです。

病気ではないのならば、仮病なのか。

精神的に弱い人の場合には、仮病ではなく、自分で症状を作り出す場合があります。

ですから、精神的な原因となりますから、カウンセリング等が必要になるでしょう。

精神的にも原因がなく、検査をしても異常がない、それでも不安に押し潰されそうになるのは、なぜでしょうか。

世の中には、医学や科学では解明できない部分が山ほどあります。

発生源の不明な不安もその一つなのです。

そこに大きく関与しているのが、私たち人間の中に存在している魂なのです。

「魂なんてあるの?」と思う方も多いでしょう。

仮にあると思っているとしても、魂が何であるのか、何のために人間の中に存在するのか、そこまで理解している方は少ないのです。

魂をいきなり理解できるわけではありませんが、「存在するのだ」と知る事はできるのではないでしょうか。

魂は意味あって人間の中に存在しているのです。

その意味を人間が知らずにいるのです。

知らずにいるから、教えようとするのですが、その方法は人それぞれ。

その中に、「不安」というものを生じさせる場合があるのです。

ですから、どんな薬も治療も大きな効果がないのは、病気ではなく、「魂があるのだ」と教えようとしているからであり、それを知る事でしか解決しないのです。

逆に考えれば、魂という存在を知れば、あっという間に不安から解放されていくのです。

ただし、今ここで書いているものを読むだけでは「知った」ということにはなりません。

知識としては「知った」ということになりますが、心にまでは届かないのです。

頭で理解した事を心に届けるためには、会話が必要なのです。(魂に語りかけ、繋がりを取り戻す)

人は魂を宿していますが、魂と繋がっているとは限らないのです。

魂と繋がっていなければ、知識は実感にはならないのです。

ここを読まれている方の中で、真剣に魂について知りたい、または不安から解放されたい方がいらっしゃれば、是非対面でお話できればと感じる今日この頃です。


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『心』
今日の言葉

自分の心に従うこと

教育や知識もとても大切だが

心が頭に同意しないときは

心のほうが正しいことが多い

ノーム・クロスビー

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今日の言葉に挙げたように、「自分の心」に従う事は非常に大切な事です。

ただし、私たちは「自分の心」というものを「自分の欲望」と混同しています。

ですから、「自分の心」に従ったと思って行動に移すと、とんでもない結果が待っている事があるのです。

そういう結果に出会えば、人は「心に従ってもろくな事がない」と結論付けます。

本当は、心と欲望を間違った自分があるとしても、「欲望=心」と思い込んでいれば、間違いにも気づきません。

その点をしっかりと見極め、その上で「心に従う」という習慣を身につけていかなければなりません。

何が心で、何が欲望なのか、その境目は実は微妙なものです。

まずは、己を律し、楽をしない事です。

あなたは見守られているのですから、その見守ってくれている存在が「喜んでくれるか」と考えてみるのです。

自分が喜ぶかどうかで考えると、欲望が満たされれば嬉しいのですから、当然「イエス」となってしまいます。

あなたが見守る立場だとして、どういう事を喜び、どういう事を喜ばないか、想像してみてください。

判断は一瞬でしなければならない場合もありますから、普段からそういうクセをつけていないと、ついつい「心=欲望」として誤った判断をしてしまう事になります。

昨日の罪と罰に照らし合わせるならば、心を欲望と捉える事は罪なのでしょう。

その結果、罰があるとしても、それは腹立たしい事でもなければ、理不尽な事でもないのです。

ルールがあるのならば、反すればペナルティもあるのです。

当然の事なのですが、私たちはそのルールを知らず(知ろうとせず)、深みにはまる危険を冒しているのです。

本当の意味の「心」というものを知らなければならない時代なのです。

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『罪と罰』
今日の言葉

人間の奥底には

生きる意味を「死に物狂い」で知りたがる願望が

激しく鳴り響いている

アルベール・カミュ

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私たち人間は、知らず知らずのうちに「罪」を犯し、「罰」を受けています。

ここでいう「罪」とは人間に対しての「罪」ではありません。

人間対人間の場合には、法律や道徳というルールが適用され、そのルールに合わせて「罰」が与えられます。

同じようにこの世にも「ルール」があるのです。

この空間(宇宙・地球)に対して、そして己の魂に対して、またこの世を創造した存在(かみさま)に対して、私たちがどう接し、どう考え、何を言ったのかという一つ一つがこの世のルールに照らし合わせられているのです。

人間対人間であれば、バレなければ大丈夫、口に出さなければ大丈夫、知らなかったのだから大丈夫(過失と言われるもの)、と見逃されるものがあります。

ところが、この世のルールとなると違います。

バレないことはありませんし、思っただけでもダメですし、知らなかったといういい訳も通用しません。

非常にシビアで、しかも一秒たりとも見られていない時間はありません。

それだけの厳しさがあるにも関わらず、私たちはそういうルールがあることさえも知りませんし、また知ろうともしていません。

「罰」にだけは敏感に反応していますが、それさも「罰」である自覚がありませんから、「運が悪い」とか「偶然悪い事が降りかかった」という程度の認識しかありません。

中には「これは試練であり、乗り越えられるから与えられた」と思われる人もいますが、その「試練」とは誰が与えると考えているのでしょうか。

もしそれが「神」という存在が与えると考えているならば、大きな間違いです。

私たち人間は、神に試練を与えられるほどの存在ではないのですから。

試練の多くは「罰」である可能性が高いのです。

でも人はそれを認めたくないのです。

たとえ真実であっても、自分が「罰」を与えられるということ自体が、信じられないのです。

「何も悪い事などしていないのに不幸が降ってきた」という言葉の中にある「悪い事」とは何であるのかも知らないのです。

人間の常識や知識で考える「悪い事」とこの世のルール上での「悪い事」が必ずしも一致するとは限らないのです。

何が「罪」なのかを知る事でしか、「罰」は防げないのですから、学んでいくしかありません。

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